nagi103’s diary

好きなものだけ語りたい

エウレカの記憶、新劇場版の意味(ネタバレ無し)


交響詩篇エウレカセブンハイエボリューション1、ヤバかったです。





はい、ヤバかったで終わらせたいんですけどね、それはツイッターで死ぬほどやりました。

じゃあブログを書くという意味、それはなんなのか。また詭弁をベラベラしたいからです。少しだけお付き合いして欲しい。


なお今回は端的に書く(パソコンがイかれてる)ので区切りとか章分けとかそういうしゃらくさいやつないんでスパッとやっていきましょう。



はい、さて。

僕は今回の映画、総集編か三部作程度に端折ってリメイクみたいな、ヌルいやつだと思って舐めて見に行ってたんですよ正直。見事に大泣きさせられましてね。


ではなぜここまで感情が溢れる羽目になったのか、それは多分今回の映画は「過去に見た人がエモくなった人」を対象に「エモかったところだけ」を「何があったかだけ省いて」描写していたからだと思います。

序盤のファンサービス的な映像は置いておいて(アレぶっちゃけ板野サーカスやりたかっただけだと思うし)、今回の映画では事件があったからこうなったみたいな極度に抑えられてるんですよね。

敵襲だ!戦闘だ!戦闘の中で見え隠れする人間関係!そして戦闘の意味!みたいなのが、0なんすよ。

ここ、テストに出ますよ。いいですか、今回のエウレカの映画は、「過程が描かれない」。

つまり、昔見て、感動した人以外に極度に優しくない作りをあえて採用してるんだと思います。

故に見た後はなんでこんな全国上映できたのかかなり疑問でしたし、同じ時間の部で見てたアニメ映画だから見に来たみたいなオタクは全落ちしてる具合でした。

それでも過去作を見ている人は、ひたすらに描かれるレントンの気持ち、エウレカの気持ちに何度も泣かされる。何があったか知ってる故の特権であり、されどもアニメ映画特有のリピーターから搾り取る戦略もない。

ビジネスとしてどうなんでしょうねこれ、僕は何度も泣くと思いますし、第2部では多分初っ端で大泣きしてます。第2部では上映館減らされてないことを切に願います。


あ、今回はこんなところです。宣伝的な話もしないですし、ターゲットはここだろみたいな話でした。



PS、原作設定だったらデューイ16歳のタルホと付き合ってるわけじゃんいいのかそれ。羨ましい。