nagi103’s diary

好きなものだけ語りたい

屍者の帝国の映画を見ました


ネタバレがあるので多めに空白取ります、お気をつけください





























この映画を見て思ったことは「物語の力」を感じた事です。

それは作品の物語が良かった悪かったという意味ではなく、作られた物語のもつ力、という意味です。


原作小説では、作られた物語が一つの物体Xを生み出すほどの力を持つこと。しかしながらわかりやすい物語によって理解しやすい形になることへの警戒も示唆されていました。


少しばかり話が飛びますが、物語の力というと最近放送されたGレコを思い出すモノがありました。

非常に単純に言うと、戦争をするため、新しい兵器を試すために大人達が自分に都合のいい物語を作り、その戦争を恋愛にお熱な若い学生が気づいたら止めてたぐらいの内容だったんですよね。


物語の持つ力は計り知れないモノがあります。代表的な所を挙げればナチスドイツなどでしょうか。

自らの正義を通すための物語、物語の力は人を殺すことすら肯定するのです。



さて、ここまで来た所で映画の話に移りましょう。

映画版屍者の帝国は極端な話、映画という二時間尺で収めるためにかなりの要素をスポイルすることで。また原作の明確な目的のない旅に一つの目的を付与するために二つの要素を与えました。

一つはフライデーを友人の遺体とすること。

一つはザ・ワンの妄執。

フライデーの設定付与は、原作にはなかった物語としての明確な目標をつけました。友人を復活させる、という目標は単純明快な終着点でしょう。

また、ザ・ワンの妄執は友人の復活を妨げるわかりやすいラスボスを作り出すこと。


物語の力を示した原作は映像化に伴い、皮肉なことに観客がわかりやすい様に魔王を倒し恋人を救う様なストーリーを構築してしまった。


映像化というハードルを前に、この落とし所は妥当なところだったのでしょう。映像、演出、音楽共に非常にハイレベルな映画が実現できていた様に感じました。


王道エンターテイメントとしては優秀でも原作にあったいい所はかなりスポイルされている。

それを受け入れることができるかは見る人次第というとこですかね。